埼玉北部土地改良区連合埼玉北部土地改良区連合

たびたび起きた「水争い」
 神流川は、群馬県上野村の三国山から流れ始め利根川に合流する長さ約87kmの川です。  神流川の水は周辺に住む人々の飲み水であり、農業をいとなむために必要な大切な水でした。  神流川からの取水は、江戸時代に8つの堰(せき)で取水量が定められていましたが、川の水の量が不安定でたびたび水争いが起きました。

1箇所で取水することで適量を分配
 争いの解決のために、1箇所で取水し適量を分配するよう、神流川頭首工と水路を整えました。

 

神流川の歴史

江戸時代
1717年
(享保2年)
九郷22の村と、阿保13の村で、神流川の水を使う割合を決めました。
のちに、「割元(わりもと)」といわれる代表の村が、用水を管理することとなりました。
明治時代
1872年
(明治5年)
九郷堰の「堅岩(たていわ)」をくり抜いて水を引く工事を始めました。
そして神流川の水を農業用水と飲み水に分けそれぞれの村に引き入れる割合を決めました。
1894年
(明治27年)
九郷用水路普通水利組合が発足。
1898年
(明治31年)
阿保領用水路普通水利組合が発足。
1907年
(明治40年)
8月の台風と豪雨で山津波が発生。
神流川上流の荒れ果てた山林が保安林となり、以後植林を目指しました。
大正時代
この時代、埼玉県の長幡村民と群馬県の神流村民とで水争いがおこりました。
また、埼玉県各地で雨乞いが行われました。
1926年
(大正15年)
九郷阿保領用水路普通水利組合が発足。
昭和時代
1928年
(昭和3年)
間瀬ダム築造開始。(1937年完成)
1930年
(昭和5年)
水争いで、埼玉県の長幡村民と群馬県の神流村民とで石合戦がおきました。
1941年
(昭和16年)
神流川の利水基本計画を決めました。
水争いが絶えないため、群馬県と埼玉県が農業の基本計画をつくるための調査を国に求めました。
1955年
(昭和30年)
神流川頭首工が完成。
1969年
(昭和44年)
下久保ダム運用開始。

下久保ダム